1999(平成11)年~
五代目社長梅田和敬 「R‐2000」仕様住宅を実現

1999(平成11)年~2005(平成17)年
五代目 梅田和敬

1982(昭和57)年3月22日まだ残雪が残る夕方。前日の浦河沖地震は震度6で池田町もかなり揺れた。その話題で盛り上がっていたとき、室蘭工業大学の鎌田紀彦助教授(当時)が一人の青年を伴って来社した。鎌田先生とは、当社の現場公開に講師として度々招き、北方圏の住宅についてなどの話を研修会で発表していただいた。また当社の建主さんに協力して頂いた沢山のデータは、学者にも有益であったようで、お付き合いは続いていた。その青年は、以前当社の現場公開のさいにも鎌田先生と一緒だった。ただ余りにも静かで、無口なので目立たない存在だった。先生は開口一番『俺の教え子だよ、ここに勤めたいといっているので、是非頼む、真面目な奴だから』芳雄社長は『先生の推薦なら』と言い来て貰うことにした。

 その青年が梅田和敬である。昭和27年深川市生まれ、室蘭工業大学建築工業科卒、鹿追農協に勤務。一級建築士の資格を有していたが、農協での仕事では、思うように自分を発揮することが出来ずにいたが、赤坂建設が新しいツーバイフォー工法住宅に取り組んでいる事を知り、自分の力を充分発揮しようと強い信念で入社を願っていた。

 会社始まって以来の大学卒業のエリート社員と云うことで、直子などは『梅先生、梅先生』ととても喜んでいた。

R‐2000仕様実験住宅

 物静かな梅田は設計に取り組み、これまでとは違う斬新で革新的な住宅を創り上げた。芳雄社長の没後、専務となってからは、道内では5番目となる「R‐2000」仕様実験住宅の取り組み、高断熱、高気密に24時間空調システムのハイクオリティ住宅を完成させた。

R‐2000仕様実験住宅の内部

彼は優れたセンスと感性で、今日の「赤坂スタイル」を創り上げた。地味な色合いのなか、壁の一部に木をはめ込み、窓辺に花置きを配したアクセントでまとめた落ち着きのあるスタイルは人気があった。

札内北クリニック
こばと薬局

 彼は店舗や病院など大型建築にも手腕を発揮した。「20条小児科内科クリニック」、「札内北クリニック」、「こばと薬局」、「ひびきの歯科医院」、「新津商店」などがある。

20条小児科内科クリニック

 平成11年直子社長からバトンタッチを受け、五代目社長に就任し、7年間に亘り活躍して平成17年次期社長を赤坂正に引き継いだ。

赤坂建設帯広事務所/アディス増改築工房

 当社の帯広事務所アディス増改築工房は彼によるもので、弥生通に面した敷地を生かした斬新な建物や、(株)イノタニさんによる外構工事でのコラボレーションで「平成17年度第1回帯広市まちづくりデザイン賞」「まち創り部門」で受賞した。

ひびきの歯科医院

 梅田は「ひびきの歯科医院」の設計施工に取り組んでいるとき、病に倒れた。そして、これが最後の仕事になった。施工途中に入院し、佐竹専務があとを引き継ぎ完成させた。竣工の日、車椅子に乗って完成した建物を見上げて一言つぶやいた『これは俺の集大成となる作品だ』。平成19年3月28日胃がんで死去。享年54歳だった。

清水町O様邸内部

梅田は常に口数は少ないが学者的な真面目な性格は建主様のみならず業者間からも多くの信頼を得た。

 死の約7年前から写真撮影に熱中していた。彼はいつも愛犬『桃子』と連れだっての撮影だった。入院中撮り貯めた写真を3冊のアルバムで自費出版した。他界した後も美しい風景写真は会社のイベントポスターなどにも採用され、今もスタッフの心と共に歩む。

梅田和敬の遺作写真集

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